因果関係というのは,ある行為があったためにその結果が生じたと言えるかどうかという問題です。
大抵の事例では,因果関係が問題となることはそう多くありません。
例えば,ある書店から本を万引きしたために,書店には財産的な被害が生じた。
これは当たり前ですね。
例えば,人を殴ったために,殴られた人が怪我をした。
これも当たり前ですね。
では,このような場合はどうでしょうか。
Aが口論の末にBを殴ったところ,Bはほとんど怪我を負わなかったが救急車を呼んだ。Bが救急車に乗せられて病院に運ばれる途中,救急車が交通事故に遭ってしまい,事故の衝撃で頭を打ったBは打ち所が悪く死亡した。
このような場合に,AがBを殴ったためにBが死亡したと言えるでしょうか。
たしかに「AがBを殴らなければBは救急車を呼ぶこともそれで運ばれることもなかったし,事故に遭うこともなかった。したがってAが殴ったためにBが死亡したと言える」という考え方もあるでしょう。Bの立場であればそう言いたくなるかもしれません。
しかし,客観的に見れば,さすがにAに,Bの死亡の結果にまで責任を負わせるのは酷でしょう。
普通の傷害罪(罰金で済むこともある)と傷害致死罪(3年以上の懲役)では刑の重さが異なります。
そこで,このような場合に,偶然的に生じた結果を排除する(行為者に責任を負わせない)ための論理として編み出されたのが「因果関係」です。
因果関係は,条文上に明確に規定されている概念ではありません。
したがって,「因果関係」の判断基底と判断基準をどのように考えるかについては諸説が分かれていて,この点については刑法の基本書ではそこそこの分量を割いています。
詳しい解説は各基本書を読んでいただければと思いますが,基本書の解説はなかなか複雑です。
基本書を読んでもわからないという方のために,ごくごく大雑把に言えば,因果関係論では「偶然的な結果を排除できればそれで良い」のです。
そして,偶然かどうかということは,法律の専門的な知識がなくても,一般的に判断できることです。
したがって,基本的には,因果関係は,「行為当時に一般人が認識し得た事情を判断基底として,一般人から見てそのような結果が生じるのが常識的に見て相当(偶然ではない)と言えるかどうか」で判断すべきであるということになります。
あくまで一般人基準で偶然かどうかを判断するのが,基本的なあり方です。
ただ,その場合に,行為者自身が認識していた事情を判断基底に含めないとすると問題も生じます。
例えば,Dが少し叩かれただけでも死亡する特殊体質で,Cがそれを知りながらDを殴打してDが死亡したという場合はどうでしょうか。
一般人からすればDがそんな特殊体質であることはわからないわけですし,少し殴打しただけで死亡するのは常識的に見て相当のことではないので,因果関係なしという結論にもなってしまいそうです。
ただ,それでは妥当性を欠くことになるでしょう。
CはDが特殊体質であることを知っていたわけですから。
そこで,最終的には「行為当時に一般人が認識していた事情及び行為者が特に認識していた事情を基礎として,一般人から見てそのような結果が生じるのが相当(偶然ではない)と言えるかどうか」で相当因果関係の有無を判断することになります(大谷實『刑法講義総論』が詳しいです)。
この立場を折衷説と言い,少なくとも私が受験勉強をした時代はこの説が通説でした。
ただ,因果関係は客観的構成要件要素であるはずなのに,そこに行為者の主観が混じり込むのは(行為無価値論的な立場であっても)何となく腑に落ちないという感覚もあるでしょう。
そこで,事例ごとに,「1.行為の危険性の大小 2.介在事情の偶然性の大小 3.介在事情の結果への寄与度」を総合的に判断しようという説も有力に唱えられています(前田雅英『刑法総論講義』が詳しいです)。
個人的には,従来の通説である相当因果関係説でもいいですが,前田雅英教授の説のほうが,近時の司法試験に見られる「あてはめ重視」の傾向を考慮すると優れているようにも思われます。
ただ,大事なことは,(刑法の先生方からは怒られるかも知れませんが)最初に述べた通り,因果関係論では「偶然の結果を排除できさえすればそれでいい」のです。
そして,ほとんどの事例では因果関係はあまり問題にはなりません。
銃で撃ったから死亡した(殺人罪),取引で騙したから財産的な被害が発生した(詐欺),いずれも当たり前のことです。
偶然的な結果を排除するためだけの議論ですから,行為無価値と結果無価値の対立ともあまり関係はありません。
立ち並ぶ学説に惑わされず,問題を解く際には「偶然的な結果と言えるかどうか」だけ考えるのが良いと思います。
偶然生じた結果で,その責任を行為者に負わせるのが酷であると思われる事例であれば,その場合だけ因果関係を検討すべきです。
その検討をする際に用いるのが相当因果関係の折衷説であろうが,前田雅英教授の説であろうが,最終的には常識的なセンスをもとに偶然かどうかを判断するわけですから(その理屈づけのための前置きに学説を用いるわけです),どの理屈を採用するかでそう大きな差は出ないはずです。