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憲法

 

憲法と集団的自衛権(2015)

憲法と集団的自衛権(2015)
 
集団的自衛権の議論について
現在(2015年・夏)、集団的自衛権が国会等で議論の対象になっています。
賛成派と反対派、両方について気になる点があります。
 
まず賛成派が、現行憲法の下でも集団的自衛権の策定は可能としている点については、国家の最高規範としての憲法の意義を本当に理解しているのかという疑問があります。
 
民主主義国家ですから、原則として多数派が強いことは当然です。
しかしそれでも守らねばならない規範というものがあります。
例えば、今の日本では国民の大半が特定の宗教を信仰しているからと言ってそれ以外の宗教を迫害することはあってはなりません。憲法20条に信教の自由が定められているからです。
また、いかに時の政権にとって都合の悪い言論であっても、暴力的な方法で封殺されることがあってはなりません。憲法21条に表現の自由が定められているからです。
このような自由が保障されていないと、政権の多数派(それが必ずしも国民の多数の意見を反映しているとは限らないー政治家は選挙民の意見に拘束されないため)が決めたことが何でも通るということになってしまいます。
それこそ、程度の問題があるだけで終局的には人権無視の独裁国家と変わらないことになります。
 
憲法は、為政者としては必ず守らなければならないものです。もちろん、憲法改正(憲法96条)という手段は有り得ます。
しかし、改正ができないのであれば、憲法に(為政者としては不満があっても)従うほかないものです。それが法治国家の考え方と言うものです。
今回の集団的自衛権は、文言上は憲法9条に明白に反するところと思われます。
自国の危機のために自衛隊が出動するのであればともかく(それ自体も違憲という考え方も有り得ますが、私としては個別的自衛権は憲法上否定されていないと考えております)、他国の危機のためにも自衛隊が出動するというのは、それは言い換えれば「軍事同盟」と大きく異なるところはありません。
 
ここで気を付けてほしいのは「軍事同盟」そのものを否定するわけではないということです。
世界の平和を保つのは力の均衡であってそれ以外ではないという意見もあり得るでしょう。
問題は憲法9条において、「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」が「国際紛争を解決する手段としては」「放棄する」と定められていることです。集団的自衛権を認めようとするのであれば、まず先に憲法改正が必要と思われます。
インターネットの匿名言論等を見ていると、憲法違反でも構わない、憲法では平和は守れない等という意見も見られます。しかし、憲法というのは国家権力の専横から国民を守るためのものです。インターネットで好きなように議論できるのも表現の自由あればこそということを忘れるべきではありません。
憲法違反が一切批判されないというのは、逆に恐ろしいことです。
無批判に賛成している人は、平和主義(憲法9条)という、ある意味でスケールが大きい、リアリティの無い領域であるため、憲法無視の姿勢が気にならないと言うだけではないでしょうか。
例えば、他国と交戦状態の時は、情報漏えいを防ぐために、いかなる理由があっても交戦国及びその友好国とのインターネット通信は禁止、違反した者は処罰する等と言われたら、それでも「国民の団結のためだから仕方ない」と平然としていられる人がいるのでしょうか。憲法違反の政治というものをリアリティをもって想像できる領域に引き直して考えれば、問題の深刻さはわかるのではないかと思います。
もう一つ言えば、憲法に関わらず時の政権(多数党)が集団的自衛権の行使を判断できるとしたら、例えば、もし将来左派政権が出来た時はどうなるのでしょうか。左派と親和的な他国のために、右派と親和的な他国と戦う覚悟があって賛成しているのでしょうか。おそらく今賛成している人でも「何で○○国なんかのために戦わないといけないんだ」と思う人も出てくるのではないでしょうか。国が憲法に違反することを一旦認めてしまえば、けっきょくはその時その時の多数党の恣意的な運用を許す結果となります。
政治権力を握るのが右派であるにせよ左派であるにせよ、それらの専横から国民を守るために憲法があるのです。
ですから「法的安定性は関係ない」というような発言は、批判されて当然なのです。
 
 
 
他方、集団的自衛権反対派(の一部)に対しても、私としては完全には賛同しがたいところがあります。
特に、集団的自衛権について「戦争法案」という言い方がされることがあります。
「戦争法案」「平和を守れ」という言葉をスローガンのようにして時にはパフォーマンスのようなことを行う一部に対しては違和感を覚えます。
集団的自衛権とその関連法案は、「戦争」をするための法案ではないはずです。
集団的自衛権に賛成する側も(それが憲法と適合しているかどうかは置くとして)それはそれで国の平和のためを思ってのことでしょう。
理想主義や話し合いだけでは平和は守れないという、その発想自体は正しいと思います。
反対派が「戦争をするための集団的自衛権」と言えば、賛成派は「戦争をさせないための集団的自衛権だ」と言い返すことになり、そこでは決着がつきません。水掛け論です。
 
政治は過程より結果、法律は結果より過程を重視するという有名な言葉があります。
政治の世界は法律の世界と異なり結果が全ての世界です。
ですから、今後の情勢次第で「政治的には」(結果的には)集団的自衛権があって良かった、ということになる可能性も充分有り得ると思います。
ですから、仮に憲法の規定を度外視すれば、私も集団的自衛権の発想自体には反対はしません。
「国際連合による安全保障を目指すべきで集団的自衛権は採用すべきではない」という意見もネット上で目にしましたが、国際連合は世界統一政府ではないのですから当然限界があります。現状を見ても、国際連合の力のみによる平和を求めることは困難と思われます。
 
問題は、上記の通り、集団的自衛権が現行の日本国憲法に違反しているのではないかという、その一点です。
平和を守るためだとしても、国が憲法を順守しないということはあってはならないことです。
反対派は、その一点に話を絞るのでなければ、いくら「戦争反対」「戦争法案反対」と言ったところで、上記の通りの水掛け論が始まるだけで、何ら生産的ではないと思われます。
  
 
 

憲法とは

憲法とは
 
憲法とはどのような法か

憲法は、厳密に言えば法律とは違います。

「こういう法律を定めてはいけない」という、言わば「法律の法律」です。

日本では、選挙で選ばれた国会議員で構成される国会が、国の最高意思決定機関として様々な法律を定めたり改正したりします。
行政は、国会の定めた法律を実施する役割です。
日本は戦後も行政の強い国で、官僚機構が良し悪しは別として非常に発達しており、官僚が法案を作成することもあって国会と行政の逆転現象が生じているようにも思われますが、基本的には国民代表である国会が最高機関です。

ただ、幾ら国民の代表とは言っても、国民の権利を不当に制約するような法律を決めることができてしまうのでは、かえって不当な結果を招くことにも繋がりかねません。
例えば極端な話、「インターネットで政治家を批判した者は懲役1年以上の刑に処する」という法律が定められた場合、国民は政治家を自由に論評することができなくなります。
憲法21条は、国民に言論の自由を保障しています。
上記のような法律は憲法21条に反するとして違憲無効となるでしょう。

憲法とはこのように、国の統治機構のあり方を定めるだけではなく、国民の、国家に対する自由を保障するための法です。

その点で憲法は法律を審査するための法であり、他の民法、刑法その他各種の法律とはその性質に決定的な違いがあります。
また、地方議会が定める条例なども憲法によって審査されうることは法律と同様です。

憲法は、司法試験科目の中でも、あまり実務的な科目ではないと言われていました。
たしかに弁護士になって憲法違反が問題となるような事例に出会うことはあまり多くありません。
実際の事件に関係ありそうな法律を優先的に勉強するのが普通で、法律学習における憲法の優先順位というのはあまり高くは位置づけられてこなかったようにも思われます。

ただ、最近では自治体に就職して条例制定の仕事等に携わる弁護士も、わずかにですが、増えつつあるようです。
法律や条例の制定に関しては憲法的な視野が欠かせませんので、今後は従来よりも重視されることもあり得るかと思います。

 

 
憲法改正論議について
憲法を考える際に外してはならないことは、憲法は、前の項でも書いたとおり、国家権力を制約することで国民の人権を保護するために存在するものであるということです。

憲法のプロトタイプは、イギリスのマグナ・カルタであると言われます。
13世紀ころ、国王の権力を制約する(国王が好き勝手をするのを防止する)ための決まりとして国王に突き付けられたものです。
マグナ・カルタを国王に突き付けたのは当時のイギリスの貴族たちであって農民や商工民ではありませんから、今の日本のような民主主義を前提としたものではありません。
ただ、国王にせよ何にせよ、国家権力を憲法という最高法によって制約し、もって国家権力の(法律の制定を含めた)行使を制約しようという考え方を立憲主義といいます。
これは、最高権力が王(君主)ではなく国民代表(国会・国)になった場合でも同様です。
今の日本は、立憲主義と民主主義を併せた立憲民主主義国家ということになります。

大事なことは、憲法と国とは常に緊張関係にあるし、またそうでなければならないということです。
国にとって憲法は言わば「目の上のたんこぶ」です。
国の側でいろいろ(多数派が)思うようにやってみたいと思っても、憲法のせいでそれができないということは当然想定されていますし、それこそが憲法の本領発揮ということです。
つまり「目の上のたんこぶ」にすらなれない憲法では、憲法としての実質的な意味はないということになるでしょう。
ですから、国の側から見て使いやすい憲法であるかかどうかで憲法を判断することは、理論的には矛盾するのです。使いにくいくらいが丁度いいのです。

今回の憲法改正論議では憲法96条の憲法改正要件に関する議論も行われています。
日本の憲法は国会議員両院の総議員の3分の2以上の賛成がある場合で、かつ国民投票で過半数の賛成がある場合という厳格な手続を定めており、容易には改正できない硬性憲法です。
硬性憲法は、人権規定を含め容易に改正しづらくすることで国民の権利を保護する機能が高いというメリットがある反面、情勢に応じた柔軟な対応がしづらいというデメリットがあります。
仮にこれをより改正しやすくするために96条を改正した場合は軟性憲法となり、メリットとデメリットが逆になります。

先に述べた通りここでは賛否を述べることはしませんが、今必要とされていることは、改正要件を含めた改正の是非を国民が冷静に検討することにあると思います。
それぞれの党派からスローガン的な主張が繰り返されていますが、スローガン的な主張に流されてしまうことは、いずれの道を選択するにしても望ましいことではありません。
強硬なだけのスローガンも、理想論だけを先行させたようなスローガンも、いずれも精密な議論において有益とは言えません。
国民全てにおいて、冷静で緻密な議論が求められます。

 

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