責任・責任能力
責任論
ある行為が犯罪成立の第1関門である構成要件該当性を満たし、第2関門である違法性も阻却されないという時、第3関門である責任論を検討することになります。
この場合も、スタンダードな行為無価値論の立場で考えると、違法性阻却事由と同じく責任阻却事由があるかないかを考えることになります。
責任阻却事由が存在しない場合は、犯罪が成立することになります。
刑法各論の分野になりますが、親族相盗例など、ごく一部の犯罪について処罰阻却事由(同居親族の物を盗んでも刑事法上は処罰しない)が存在します。
ただ、法学や司法試験の勉強をするに際しては責任論までを勉強しておけば良いところです。
責任能力
責任能力とは、事理の是非(善悪)を分別し、それに従って自分の行動を制御する能力のことです。
有名な条文ですが、刑法39条は1項で「心神喪失者の行為は、罰しない」、2項で「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」としています。
責任能力を全く欠いた状態で、構成要件に該当し違法な行為を行うことが心神喪失です。
責任能力が著しく制約された状態で、構成要件に該当し違法な行為を行うことが心神耗弱です。
責任、特に故意責任の本質は、自分のしようとしている行為が刑罰法令に触れることを知りながら(悪事であることを知りながら)、それを思いとどまることができたはずであるのに、思いとどまることなく(制御できず)犯罪を実行するということにあります。これが刑法上の「責任」です。
刑法上の「責任」は道義的な、一般に使われる意味での「責任」とは異なります。
心神喪失のように刑法上の「責任」がない場合は、犯罪が成立しません(訴訟となれば「無罪」となります)。
心神耗弱のように刑法上の「責任」が減弱している場合は、刑責が減軽されることになります。
実務における責任能力の判断
責任能力については、学生の時に習った当初は「じゃあ、何か悪いことをしても『精神的に異常で判断力がありませんでした』と言えば、あるいはそんなフリをしていれば無罪で許されることになるのか、不当ではないのか」と思ったこともありました。
ただ、実務に出てみると、責任能力で心神喪失と認められるケースはそう多くはなく、案外に判断基準が厳しいことがわかりました。
まずは、前提として精神疾患の存在がなければ、心神喪失や心神耗弱はなかなか認められづらいということです。
また、これがより重要な点ですが、精神疾患が犯行の機序となっていなければならないということです。
例を挙げますと、精神疾患の一種である統合失調症の患者であっても、適切な治療を受けて薬を服用していれば幻覚や妄想等の症状は軽減・回復し、平常の社会生活を営むことができるとされています。
例えばその回復期に、お金が足りなくなり、お金が欲しいと思って盗みをしたような場合は、これは統合失調症と盗みとの間に何らの関係はありませんから、責任能力は否定されず、犯罪が成立することになります。
また、幻覚・妄想があったとしても絶対に責任能力の減弱や喪失が認められるというものではありません。
これはどういうことかというと、例えばですが、「頭の中にいる別人格に『万引きをしろ』と命令されて、万引きをした」と被告人が述べており、事実、被告人は犯行のはるか以前から「頭の中にいる別人格が日常的にいろいろな命令をしてくる」という悩みを精神科医に述べていた、という事例があったとします。
この場合、被告人の頭の中の別人格は誰にも実証できませんが、しかし「被告人の頭の中に別の人格がいると被告人自身が思っている」ところまでは判断の前提となるでしょう。
しかし、防犯カメラの画像を精査した結果、犯行に以下のような点があったとすればいかがでしょうか。
・万引きの前、被告人は周囲を見回して人がいなくなるのを待ってから商品を万引きした。
・被告人は商品に着いた防犯タグやバーコードを取り外していた。
・被告人は店を出る際も周囲を見回しながら足早に退店した。
このような場合、被告人は、自分の犯行が他人に見咎められうるもの、捕まる可能性があり、捕まればペナルティを受ける可能性のある行為であることを認識しているものと見られることになります。
そうしますと、精神疾患が存在するとしても、責任能力の原点に戻って、事理(善悪)を分別し、自分の行動を制御する能力も失っていなかったことになります。
そうしますと、責任能力は否定されません。被告人には窃盗罪が成立し、有罪判決を受けることになるでしょう。
被告人が別人格に命令されたかどうかは関係ないわけです。
逆に、被告人が
・周りに人が多く目撃されやすい状況にもかかわらず商品を懐に入れた。
・商品の防犯タグはそのままにして気にするふうもなかった。
・よたよたとした目立つ足取りで退店した。
このような事情があった時は、是非分別能力・行動制御能力が備わっていたかは疑わしく、責任能力は否定され得ます。
もっとも、このあたりの認定は事実認定論に関するものであり、司法修習や実務で学習するところですので、法学部のレベルでは事実認定まで学習する必要はありません。
法学部段階では、何か悪いことをした後で言い訳的に「自分が精神疾患だ」とか「幻覚や妄想が見える」とか述べても、証拠の内容次第で有罪になることは十分ありうるということ、つまりそんな甘いものではない(逆に言えば心神喪失や心神耗弱が認められている事例は、その厳しい基準をクリアしているのであり、決して不当ではない)こと、を理解してもらえれば十分かと思います。